廣久葛本舗

髙木久助 対談集 辰巳芳子先生

対談/辰巳芳子先生

葛は、罪のない味の筆頭。

人の誕生から終焉まで生命に寄り添う清らかな恵みです。

葛は、風邪をひいたときや、病気の予後に。
葛をひいたものは身体があったまるし煮汁にすれば塩分も控えめに食材にまとわりつく。
葛は、生命の恵みとなる。

辰巳芳子先生プロフィール
料理家 1924年生まれ 
聖心女子学院卒業。家庭料理、家事差配の名手として今も語り継がれる母、辰巳浜子の傍らで家庭料理を学ぶ。また宮内庁大膳寮で修行を積んだ、加藤正之氏にフランス料理の指導を受け、独自にイタリア、スペイン料理を学ぶ。父親の介護を通じて、スープに開眼し「スープの会」を主宰する。
近年は、安全で良質の食材を次の世代に用意せねばとの思いから「大豆100粒運動」会長「良い食材を伝える会」会長「確かな味を造る会」の最高顧問を務め、広い視野と深い洞察に基づいて、新聞、雑誌、テレビなどで日本の食に提言しつづけている。

辰巳芳子先生
辰巳芳子先生

葛は、風邪をひいたときや、病気の予後に。
葛をひいたものは身体があったまるし煮汁にすれば塩分も控えめに食材にまとわりつく。
葛は、生命の恵みとなる。

辰巳芳子先生プロフィール
料理家 1924年生まれ 
聖心女子学院卒業。家庭料理、家事差配の名手として今も語り継がれる母、辰巳浜子の傍らで家庭料理を学ぶ。また宮内庁大膳寮で修行を積んだ、加藤正之氏にフランス料理の指導を受け、独自にイタリア、スペイン料理を学ぶ。父親の介護を通じて、スープに開眼し「スープの会」を主宰する。
近年は、安全で良質の食材を次の世代に用意せねばとの思いから「大豆100粒運動」会長「良い食材を伝える会」会長「確かな味を造る会」の最高顧問を務め、広い視野と深い洞察に基づいて、新聞、雑誌、テレビなどで日本の食に提言しつづけている。

「食文化はあらゆる文化の母胎である」とは
料理家・辰巳芳子先生のことばです。
野山に分け入り材を得て、
自然の恵みを日々の食卓にのぼらせる。
それが、この国の暮らしの礎となりました。
日本の食文化を支えてきた葛を見つめることは
私達の暮らしを、ひいてはこの国のありかたを
見つめることにほかなりません。
「いのちのスープ」や「大豆百粒運動」で知られる
辰巳先生に、
葛の可能性をたっぷりとお伺いしました。

赤ん坊が最初に口にするものが、葛。
人生の最後に口に入れるのも、葛。
葛は、生命の恵みとなる。

髙木久助
辰巳先生は「葛の清らかさを何にたとえよう。罪のない味の筆頭かもしれない」と書いていらっしゃいますね。
辰巳芳子
ええ。葛はじつに清らかで、雑味がまったくない。 味わいといい、口当たりといい、ほかのでんぷんにはない上品さがあります。しかも保存がきき、薬効もありますね。こうした薬効のあるものを日常の食に取り入れていくことは、人間が編み出した知恵だと思います。
髙木
最近、葛を料理に使う方が増えてきたと感じています。
やはり健康を考えてでしょう。口にするからには本物をと、
本葛を求める方が増えてきました。
辰巳
それはいいですね。
髙木
でも、「使い方がわからない」とも言われるんですよ。
辰巳
葛の使い方なんて、なんでもないことでしょう。一、二回失敗すればいいんですよ。
髙木
なるほど。
辰巳
清らかさを感じるということは、その人の美意識でしょうね。葛は清らかですから、お料理も清らかに出さないと。たとえば白粥を炊いて葛あんをかけた葛ひき粥も、懐石椀に盛ると大変品が良くなります。
高木
葛の力をお感じになって、心が動いていくということですね。

よい原料を守り伝統を受け継いでゆく

辰巳
葛はほとんど外国には紹介されないし、仮に紹介されたところで、
外国に分けてあげるほどはできませんね。けれども外国の方がこれを知ったら、コンスターチや片栗粉とはまったく異質だからびっくりなさるでしょう。
日本人は、自分のもっているものの尊さを知らない人が多い。戦争の終わったあと、なにか劣等感のようなものがつきまとって、価値観が狂ったと思います。
髙木
安易に安さだけで外国のものに飛びついてしまったのも問題なのでしょうね。葛にしても、今は外国産が増えています。なかには栽培されたものや、日本では使用が禁止されている農薬を使っているものもあると聞きます。
辰巳
高木さんのところでは、どこの葛をとっているの。
髙木
鹿児島の大隅半島に自生しているものをとっています。ふつうの野山にある葛は、根は太らずに蔓の勢力を伸ばしますから、僕たちが使えるようなものではありません。山に入るのは十二月から三月。冬に葉っぱが霜枯れすると、養分が根にたまって、大きいものは人の太ももほどにもなります。
辰巳
日本の葛は気むずかしいわね。どのくらい待ったらそんなに大きくなるのですか。五、六年?
髙木
三〇年です。
辰巳
まあ。
髙木
天然ものだから年によって品質が違い、さらし具合も変わります。
長い経験がないと、見極められません。葛粉を製造する過程で、消泡剤や防腐剤などを入れれば作業は楽ですが、それらの薬品は食べ物ではないと僕らは思っているから、入れません。僕らは「事業」ではなく「家業」として葛屋をやっているものですから、正直でありたいのです。
辰巳
高木さんのように葛を大事にしているのは、とてもいいことですね。 生産者を大事にしたい、ではなく、まずはいい原料を守りたい、ということ。一番の源を大切にしないと、日本の伝統は続いていきませんから。 もうひとつ大切なことは、確かなものを育てる作り手が、互いに本質を持ち寄り、新しい必要を作っていくことです。どんないい葛も、葛だけだと発展がないでしょう。いいスープがないと葛は立てない。 どんなによい食材も、それだけでは立っていかれないのね。

離乳食にはもちろんのこと老人介護や緩和医療にも

葛ひき粥
粥を炊いて葛あんをかけた葛ひき粥。懐石椀に盛ると大変品が良くなります

髙木
先生は、葛を食のなかでどう位置づけていらっしゃいますか。
辰巳
お薬ですね。風邪をひいたときや、病気の予後。
葛をひいたものは身体があったまるし、煮汁にすれば塩分も控えめに食材にまとわりつく。昭和天皇が最後に召し上がったのが、葛湯だったわね。離乳食にも、老人介護にもいいでしょう。ホスピスのようなところが
葛をあげてくださるといいわね。おかゆをあげられないような人に、葛をあげるのです。
髙木
人が最初に口にするものが葛であり、最後に口に入れるのも葛であると。
辰巳
そう。どんなに体力が衰えても、口から食べることは大切ですよ。 父が脳梗塞で倒れたとき、ガーゼにメロンを包んで噛ませたんです。意識が少し戻って力がついてきたときでした。のどをさすって、身体を起こし、顔をマッサージしてからあげるのです。大成功でしたよ。お医者さまにもほめられました。あるときビフテキをあげたら、それは喜んで。赤く肉汁が残るように焼いて、お醤油を振ってガーゼに包む。ガーゼを噛むと、肉汁が口に入っていく。最後に沢庵も噛ませました。父は自ら食べることによって、「これで自分も元気になる」という手応えをもったようです。 葛もそういう役割を果たすと思いますよ。鰹節のお出汁をひいておすましにして、葛でとろみをつけてあげるとむせないでしょう。
髙木
お客さんからもそういった話を聞きました。お父さんが病気で動け なくなり、ものが食べられず、嚥下障害になってしまった。けれど、うちの葛を食べるようになってむせなくなった、なにより当人がおいしいと喜んでいるとおっしゃるのです。しかも、自然とお通じがくるようになったと。
辰巳
それはいいわね。玄米のスープも、玄米の繊維がお通じを助けるので、寝たきりの人によいという解釈があります。
髙木
葛の場合は、どちらかというと整腸作用でしょうか。昔から、葛は便秘にも下痢にもいいといわれていますから。
辰巳
葛の根っこも、外国産と日本の葛では、薬効が違うのではないでしょうか。生薬を研究している方と組んで、葛の信価を知らせてくださるといいですね。       葛は、生命の恵みとなる。ここがコンスターチや片栗粉とは違うところね。子どもにもそのことを話さないと。たとえばお豆腐のおつゆを葛仕立てにするとき、「ほら、片栗粉とは違うだろう」ということを教えるのです。デリケートな違いは、示すことで養われていくものです。 けれども、今はこうした対話が下手になっているのではないでしょうか。見たり聞いたりしたそのままでは、人の力にはなりません。見たこと聞いたことを概念化して本質を見抜くという訓練が欠落している。わきまえごとのなかには常に、人の気づきが育っていくようなことがある。わきまえは法則から生まれる。法則に気づかせること。そのなかに真理がある。そういうことです。
髙木
どうもありがとうございます。