対談/和仁皓明先生
久助葛は、比類なき本葛。
愚直なまでに本物を世に送り出す男がここにいた。
和仁皓明先生プロフィール
1931年北海道生まれ、農学博士。
東北大学農学部卒、雪印乳業でチーズやバターなどの研究開発に従事。退職後、東亜大学大学院(応用生命科学科)教授を経て、現在は「西日本食文化研究会」主宰。
「久助葛」とはどんな葛かずっと心に引っかかっていた
和仁先生はどこで久助葛をお知りになられたのですか?
- 和仁皓明
- 私はかつて雪印乳業に在籍し商品開発の責任者としてバターやチーズ、アイスクリームなど、片仮名の食べ物ばかりをつくっていました。それらが果たしてどこまで日本人の生活の中に浸透していくのだろうか、あらためて日本人の食生活の歴史を勉強し直そうと思ったわけです。
運よく江戸料理の研究家・川上行蔵先生が中心となった江戸料理の本を読む会がスタートすることを知り、さっそく参加いたしました。
その文化文政の頃の本を見ますと、葛については吉野葛とともに久助葛というのが出てくるんですね。川上先生も会の皆さんも吉野葛は知っているけれども久助葛がどんな葛なのか知らない。そのときは、おそらく吉野辺りの久助村の葛だろうという話になったのですが、私はずっと心のどこかにそれが引っかかっていたんです。
平成四年、私は雪印を退職の後、縁あって下関の東亜大学大学院(応用生命科学科)の教授に就任しました。あるチーズのイベントで知り合った方が、福岡県の秋月というところで葛の祭りをやりたいので私に手伝ってほしいと言う申し出がありました。何というお店か訊いたところ「髙木久助」だと。おおっ!ここに久助葛ありかと・・・その瞬間、私のなかのチャンネルが合ったわけです。
葛を精製するのは本質的に日本の食文化なのかどうか、
これは謎としか言いようがないですね。
久助葛は、もはや天然記念物に近い!
- 和仁
- その十代目髙木久助さんに最初にお会いしたのが、ちょうど秋月の春のお祭りのときでした。
現れた髙木さんは鎧兜を纏い髭を生やし、ちょっといかつい風体でしたので、こりゃ偏屈な男かもしれんわいと(笑)。
さっそく現在の葛業界の現状をお聞きし、十代変わらずに伝統的な本葛製法を守り、手間暇かけてつくる久助葛の話を聞くうちに、これは本物だ、久助葛というのはもはや天然記念物に近い。愚直なまでに本物を世の中に送り出している男がここにもおるわい、これはなんとかせにゃならん・・・と、いかつい印象はどこへやら、久助さんの真摯で一途なものづくりの姿勢と飾らない人柄に、逆に好感を抱いたというゆかいな出会いでした。
前述の川上先生が亡くなった後、会のメンバーの一人が江戸のお菓子を再現するというテーマの本を出版したのですが、そこに「久助葛とは吉野葛の異名である」と間違って書いてしまったんです。だから私は東京に行って知人に会う度に髙木さんのお店のパンフレットを見せて「これが久助葛だ。これこそ本物だ」と宣伝しているんですよ。
中国の古い料理書には葛料理の記述がない!?
料理早指南 四編 醍醐山人著
文政5(1822年)刊 昔からの春夏秋冬の名目料理を収載。「葛の部」には、さまざまな葛料理が紹介されている。
中国と日本で葛の利用方法はどう違うのですか?
- 和仁
- 葛根そのものはたぶんヒマラヤの麓辺りが原産かと思いますが、葛の利用についてはおそらく渡来人が持ってきたものであろうと思っています。
もともと日本にも葛は自生していますが、葛の根を掘って利用するということが縄文時代からあったのかどうか。なぜかというと、葛の根を掘るには鍬とか鋤などしっかりした柄のついた道具が要ります。でも、そういうものが縄文時代の遺跡からは出ていません。それが出てくるのは弥生時代以降なんです。弥生文化というのは大陸文化ですから、道具を使って葛根を掘って利用するというのは渡来民の持ってきた文化だろうという気がします。そしてその利用方法には二通り考えられます。一つは薬用、一つは食材です。日本で一番古い葛デンプンらしい話が出てくるのは平安時代で、「黒葛」という記述で出てきます。黒いというのはおそらく未精製の葛デンプンだということでしょう。これを白い本葛デンプンに精製したかどうかはわかりません。記録によれば黒葛のまま葛湯にして飲み、その習慣がある村は長寿だという話が残っています。葛根は生薬の中では万能選手ですからね。そういう薬用的な使い方は紀元前1世紀頃の中国の漢方薬の書物にはすでに出ています。けれども西暦650年頃の中国最古の農業書「斉民要術」には、バターやチーズの作り方はあるけれども葛デンプンの作り方や料理は出ていないんです。その後の書物にも葛を料理に使ったという記録は意外とないんです。これが不思議なんだなぁ。
葛を精製して食べるのは日本独自の食文化か?
- 和仁
- もっとグローバルに見ていきますと、ヨーロッパには芋デンプンを使う
食文化はコロンブスがアメリカからジャガイモを持ち帰る以前は無かったんです。ジャガイモはインカの文化でペルーが原産だろうと思われ、サツマイモはインドネシアからマレーのあたり、山芋と里芋もだいたいポリネシアのあたり、その他デンプンが取れるものとしては葛根、わらびの根っ子、カタクリの根っ子等。デンプンを使うのは、結局は黄色人種だったんですね。
また、ヨーロッパからユーラシア大陸にかけては、料理のとろみは動物性のゼラチンを使っていましたし、前述の通り中国には葛デンプンを食うという文化は見当たらない。そうすると、やはり葛を精製して食べるのは日本独自の食文化ではないかという可能性は高いと思います。
鎌倉時代になると、書物に葛料理や葛きりの作り方などの記述が出ています。そこで一つ考えられることは、こうした植物の根っ子のデンプンを食う発想というのは、それだけ当時は日本人の食が貧しかったとも言えます。その頃、芋と言えば山芋と里芋。すでにわらび粉もカタクリ粉もあるというのはデンプン質が取れるものであれば必死に食っているわけです。しかも、それは必ずしも飢饉のときだけではなく日常的な料理に組み込まれていますので貴族階級も食べている料理だったということです。
いずれにしても、中国で葛デンプンがいつごろ料理に使われたのか、葛の精製は本質的に日本の食文化なのかどうか、これは今のところ謎としか言いようがないですね。
日本人には、きれいに精製するていねいさがあった!?
アメリカやヨーロッパでの葛の利用などは?
- 和仁
- 日本では葛は「秋の七草」として知られています。それはたぶん平安の頃からで、日本人は“もののあわれ”で葛の花を愛でたのでしょう。実際、葛の花はかわいいですよね。
- 髙木
- ところが今の方は葛の花をほとんど知らないんです。その辺にいっぱい咲いているよと言うと、へぇ~っと驚かれます。
- 和仁
- アメリカでは葛はたいへんな雑草扱いになっていると聞きましたが・・・
- 髙木
- 一八七六年のフィデルフィア万博のときに、日本が観葉植物とし
て葛を出品したところ、向こうの植物学者がこれは土の保全になるからと南部の方で葛の栽培を奨励したそうです。ところが成長がすさまじく、はびこり過ぎて山を埋め尽くし、木まで覆い尽くし、これは大変だと今度は駆除が始まったそうです。
- 和仁
- その葛根は掘れないの?
- 髙木
- 実は掘りに行ったんです。かなり成長していたのですが、精製したらデンプンの歩留まりがすごく悪いんです。これはうちの葛とは違うなぁと。
今、アメリカで葛はマクロビオテック等の素材として売られています。原料は主に日本や中国からの輸入で、料理に使うのではなく水で溶いて飲むのだそうです。フランスのパリでも自然食のお店では錠剤になった葛が売られていて、何に使うのか尋ねると、禁煙をするためだと。これを食べるとタバコがまずくなるそうなんです。
- 和仁
- いずれも食用ではなく薬用的な使い方だね。
- 髙木
- なぜでしょうか。
- 和仁
- ひとつは、食用にするためにはていねいに精製しないといけない。
日本人にはきれいになるまで精製するというていねいさがあるからということかもしれないな。同じように精製するわらび粉とか片栗粉とかも日本だけのものだからね。
- 髙木
- 確かに本葛をつくるには時間も手間もかかります。段階を踏んでちゃんと精製していかないとできないものですからね。
- 和仁
- だから世の中が平和でないと取り組めないんですよ、精製するなんていう時間のかかることは。戦国時代じゃできない。江戸時代は三百年ひじょうに平和な時代だったからできたわけだね。
その文化文政の頃になって久助葛というのがポッと出てきたというのは、考えてみると初代久助さんはよほどのビジネスマンだったのかもしれないなぁ。我々も、この本物の久助葛を応援していきたいですね。